道場でよく話題に上げる、ニューヨーク合気会の代表である山田嘉光先生が1月15日に亡くなってしまいました。
山田先生には、加藤がニューヨークに留学している間、ずっと面倒を見ていただきました。
渡米直後、合気道の指導をしていただく以外にも、住まいを探していた自分を道場内に住まわせてくれるなど大変にお世話になりました。
一宿一飯どころか百宿百飯以上のご恩がある先生がもうこの世からいなくなってしまったのは、とてもつもない喪失感です。
昨年の5月に道場を訪れた際は、先生は84歳というお年ながら健康そのもので、いつも通りに道場で指導をされていました。
別れる際には「また来い」と言ってくださり、加藤もそのつもりでいました。
まさかあんなに壮健だった先生が、9か月後には亡くなってしまったなんて、今でも信じられません。
稽古の最後に、裏の方で苦悶の表情を浮かべながら弟子に柔軟を手伝わせていたことが印象的でした。
表向きは健康そうに見えても体は厳しいところがあったのかもしれません。
山田先生は合気会本部道場の内弟子として研鑽を積んだのち、植芝守平翁の指示で1964年に渡米、ニューヨーク合気会で59年間にわたり指導を続けました。
アメリカ合気道連盟を設立し全米各地で講習を開くなど、当地での普及に人生をささげたと言っても過言ではありません。
アメリカのみならず広く欧米において合気道の普及に貢献された、合気道の世界普及の第一人者であります。
僭越ながらその実力とお人柄もあり、ニューヨーク合気会には世界中から合気道を愛する人たちが修行におとずれていました。
そんなニューヨーク合気会での稽古はとても刺激的で、各国の人たちとの交流も楽しかったです。
山田先生は合気道の世界の宝でした。
加藤は海外に出るたび、外国人と仕事をするたび、日本の文化を現地に根付かせてきた方々のおかげで、日本人が仕事をしやすくなったんだなと感じることが多々ありました。
敗戦後の復興期から経済成長期にかけて、日本武道を世界に伝播した「戦後第一世代」の先生たちがどんどんと鬼籍に入られています。
日本の武道が正しい形で世界に普及したのは、山田先生のような方々がいたからだと感謝せずにはいられません。
ご冥福をお祈りいたします。
*記事画像は週刊ニューヨーク生活より

