二段昇段審査感想文:私の合気道への向き合いかた

 加藤道場で昇段してくださった方の感想文や小論文を、道場の方々に参考としてもらいたく掲載させて頂きます。

私の合気道への向き合いかた

      

                         合気道加藤道場  久保田晃弘

 2段の昇段審査にあたり、合気道に関する感想文を提出するということで数日間いろいろと合気道を始めた当初からを振り返る作業をしてみた。まず初めに所属道場長はじめ、あらゆる先生方、道場仲間、家族に対し改めてここまで稽古を継続できたことを感謝したいと思います。

 私が合気道を始める前に今までしてきた運動は、水泳とフリークライミングでした。社会人となり、仕事が忙しくなるとすっかり運動とは疎遠となってしまっていましたが、自分の生活の一部に合気道の稽古が日常の生活サイクルの一部に入ることで心、体に変化があったように思います。それと同時に今まで経験したことがない武道の世界、さらに勝敗のない合気道とは何なのか手探りのなか道場通いが始まりました。今までしてきた運動や様々なスポーツ、嗜好で閲覧する格闘技は必ず勝者があり敗者があります。稽古を始めた当初は、受け身や技の数々を覚えることにそれはそれは物覚えが悪い私は必死に稽古をしました。

稽古に行ったらとりあえず人より動いて汗をかき受け身をとる。「合気道の8割くらいは受け身で技は後からついてくる」ある先生の言葉に刺激され稽古を重ねると少しづつできなかったことができるようになり稽古に行くのも楽しくなった思い出があります。ある程度合気道を続けていくと技の習得に熱心になるのは皆一緒だと思います。熱心な先生は勿論、教本やYOUTUBE動画などで技の研究も独自ですることができるので非常に恵まれた時代だと思われます。

「合気道は相手との強弱を競うのではなく、稽古を重ねることで心身を鍛えることが目的」とありますが、オギャーと生まれあらゆる生活の場面で試験や試合でまだまだ優劣を競い合う社会で生きている私たちは、同時期に稽古を始めた人や身体能力が高い人が昇級昇段していくことに対し自分自身への刺激となる一方で、どうしても自分自身と他人を比べてしまうという作業をしがちだと思います。皆さんはどうなのでしょうか。それは自分を否定することなのだろうと思ったりもします。人それぞれ家庭環境も違えば、身体的な違いや年齢や体力は勿論、仕事の忙しさをどうやって克服し合気道と向き合うかは私の中の重要な課題のひとつです。

稽古をしていて諸先輩方から度々技をかけようとして言われることがあります。「投げようとしている」「相手と一体になってない」「引っ張ってる」「ぶつかってる」等々・・組んだ相手が率直にこのような言葉を言ってくれることは非常にありがたいことだと思います。つまりは今の私の合気道は強引、力ずく、独りよがりという側面が強いことになるのでしょう。一方で高段者同士の稽古や演武をみていると技を繰り出しその技をつながりを切らさず受けるというやりとりの華麗さ、まるで永遠に逆らうことのない相互の動きに目を奪われる。そこには勝敗はなくとも厳しい稽古をした者同士しかわからない独特の空間が生み出される。

合気道では自分の我欲を忘れ相手と一体になることが重要で、相手との調和や協力が重要と言われます。この考え方を日常生活に応用すると、合気道の教えには困難な状況や逆境に直面しても自分自身の力で対処する術を身につけることができるのではないかと私は信じています。例えば先のコロナ下での自粛生活の中で合気道の稽古をストップせざるをえない中で、各個人が思考し自主トレーニングに励み、ある人はトレーニング方法を動画で公開したり情報を共有したりして決してつながりを途絶えさせない行動が現在に継続しているのでしょう。そして体力や柔軟性を養うことは日常生活や仕事に対して活力が生まれるのと同時に精神的な、集中力や忍耐力も養われることで心の強さを保つ側面があると思います。自分自身がどうするのかしたいのか、世間や周りのせいにせず自分自身で責任を負いあらゆる日常の場面での選択にも合気道は大いに役立ち、総合的な人間力を養える場所が日常にあることは素晴らしいことだと思います。

合気道を知らない人に「合気道とは何ですか」と質問されて、正直私は的確な解答と相手を納得させられる答えを伝えられたことは正直ありません。技の多彩さは勿論のこと古典的な知識、精神性など非常に奥が深い世界だと思います。当然人に技を教えたりする段位でもないので技に関する言及は避けました。心技体が今より少しでも充実し、自分自身が少しでも成長できるように自分のペースで稽古に励み、合気道の普及に励むことができればと思います。

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